空に近い田んぼ

五月の椎葉は新緑が眩しい。緑の中を縫うように車を走らせていると、木漏れ日がフロントガラスに落ちて、チラチラと光る。明るくなったり暗くなったり、カーブの奥がが見にくい。

あまり眩しい時は思わずブレーキを踏んでしまうのだけど、考えてみればそうそう対向車と出くわすこともないんだ、とホッとしたりする。時には昼間だというのに子鹿が飛び出してくる。体をぐにゃぐにゃに折り曲げて、道路を占拠するシマ蛇君に通せんぼを食らったりするけど、どうせ急ぐ用事もないので、ゆっくりそれを楽しむことにする。

鹿野遊(かなすび)から野老ヶ八重(のろがはえ)を過ぎて、佐礼(ざれ)に向かってずんずん登っていくと、標高約800メートルあたり、突然水を張った田んぼが面前に現れました。

こんな高いところに、しかもほとんど平らな土地は無いだろうと思えるような急傾斜の連続する山の上に、青空を写すように水をたたえた田んぼ。この水は一体どこから引いてくるんだろ?

そもそも、この田んぼを開くために何代も前のご先祖達は、どれだけの時間と労力をかけたんだろう?
「米つくりをやめてしまうことは簡単じゃけど、そのことを考えるとなかなかね・・・』今年も、水の世話と稲を食べてしまう鹿やウサギとの知恵比べ、そんな米つくりが続けられます。