十根川の仲良しさん

見上げると、まるでお城のように整然と石垣がそそり立ち、その間、間に黒い瓦屋根が頭を覗かせている。ここは十根川。

立派な石垣の上に立つのは、母屋、馬屋、蔵が揃った立派な家々、さぞかし裕福な人たちが暮らしてきたんだろうな。  とは言え、家々の間は急な坂道。今では車が乗り入れられる道もあるけど、昔は重い物を運ぶのに相当骨が折れたはず。きっと、牛や馬も頑張ってくれていたんでしょう。

そんな時代から、そう、ここが重要伝統的建造物群保存地区と呼ばれるようになるずっと前からここで暮らしてきた仲良しさんが二人。那須百合子さんと二つ年上の田原サカエさん。ユリちゃんとサーちゃんが今日は正月のための餅つきをすると聞いて訪ねてきたのでした。

正月用の餅つきは二十九日を避けるのが習わし。九は苦に通じ、『苦持ち』になるから。でも今日は十二月二十八日だから心配なし。  大事な場面を見過ごしてはいかんと、朝八時にお邪魔したのだけど、ご本人たちはまだまだゆっくり構えたもの。 「だってまだまだ寒いじゃろ。」 軒先に干した白菜に陽が差して、霜が溶けた頃、ようやくユリちゃんが酒屋さんの前掛けをつけて仕事に取り掛かりました。  まずはじめに、家の裏の凍った蛇口にお湯をかけて水を出すことからスタート。水が出始めた頃、例の石段を登った上のお隣さん、幼馴染みのサーちゃんが小豆の餡の入った鍋を携えてやってきました。  前日から準備して水に浸しておいたもち米、一斗(十升)を順々に羽釜で蒸しつつ、二人はああでもない、こうでもないと相談しながら、準備していきます。

椎葉の家々には、よく『おばあちゃんの台所』とでも言うべき土間の部屋があります。漬物や味噌や梅干しの桶が並んでいたり。ザルや籠や鍋類がたくさんある、主婦の城みたいな場所です。今日の餅つきも、この部屋に使い慣れた電気餅つき機を据え、昭和十一年から使われているもろぶたを幾つも重ねて準備完了です。

蒸しあがったもち米は、餅つき機の中で、みるみるキレイに丸まっていきます。頃合いを見計らってユリちゃんは、湯気をもくもく上げる餅を両手でむんずと掴んで「エイや!」。粉を打った板の上まで抱え上げました。さすが椎葉のお母ちゃん、「熱い!」なんてことは一言も漏らしません。いやきっと本当に熱くないらしいのです。ユリちゃんは親指と人差し指で、餅をぎゅうっと握りしめてぷちん、とちぎり、それをサーちゃんが受け取って、手の中でくるくる捏ねてキレイなまあるい餅にしていくのでした。 「だんだんおおきくなりよらせん?」「そうね?まあええが。」 「あははははー。」  椎葉の餅は大きいのが特徴。仲良しさんの笑い声も大きい。

幼い頃は大杉(十根川神社の八村杉)の根っこの部分にある洞が今よりずっと大きくて、子どもだった二人は中に入って遊んだそう。あれからかれこれ八十年、ユリちゃん、サーちゃんのお付き合いはまだまだ続きそうです。