栂尾の人たちが集まる『栂尾の館』のゲートボール場では、お母さんたちの賑やかな声、そしてボールを叩く甲高い音が「カン!カン!」と山にこだまします。
彼女たちが「きね」と呼ぶ道具。調べてみたら、やはり「スティック」という名らしい。でも「きね」の方が明らかにしっくりくるね。 ゴルフパターのようにカッコよく打つ人、正面に向けて股の間で打つ人、ボールを踏んづけて他人のボールを外に弾き出したり、弾き出されたり、打ち方のスタイルも作戦も様々、ゲームは何度も何度も繰り返し、ひねもす続きました。 最後まで、ルールは良く理解できなかったけれど、楽しいことだけは、よく理解できました。
椎葉民俗芸能博物館は上椎葉の谷間から鋭く立ち上がる山の斜面に屹立している立派な建物。椎葉の代表的な景観である石積みを模した高い壁が威厳を誇るように、来館者を迎えます。 人口二千二百人ほどの山里に、こんなに立派な博物館があることにも驚かされるけれど、その内容の充実ぶりにも圧倒されること間違いありません。 全国の博物館の名称に「民俗」が冠されていることは良くあるけれど、「芸能」まで入っている所は他にはほとんど無いと言っていいはず。それもこの場所の大きな特徴で、即ちそれは椎葉の最大の魅力。民俗学発祥の地であり、今もなお神楽を代表とする民俗芸能が暮らしの中に生きていて、多くの人を惹きつけている証でもあるのです。
この二人も、そんな椎葉の虜になった人たち。(左)井上玉光さんと(右)森内こゆきさん。椎葉民俗芸能博物館の二人の山奥学芸員さんです。
美大出身で、暮らしの中に生きる「用の美」や「民藝」に惹かれ、県外の美術館勤務を経て椎葉に来た玉光さん。 哲学、民俗学を学び、岩手県遠野にも暮らしながらフィールドワークをしてきたこゆきさんは京都大学大学院に籍を置く研究者でもあります。彼女が日本民俗学の父と呼ばれる柳田國男のゆかりの地椎葉に暮らし始めたのも自然な流れだったのでしょう。
この日は十根川神社の臼太鼓踊りの記録のためのフィールドワーク。 ビデオカメラで撮影。すでに顔馴染みになった地区の人たちから詳しく聞き取り調査。和気あいあいと談笑する中にも、時々見せる真剣な眼差しは、学芸員らしい知性と情熱を感じさせるものでした。
フットワークが良く、明るく人気者の二人の活動は、(もちろん)博物館の仕事だけに留まりません。 村内各地区で神楽の「ならし(練習)」が始まる頃、二人も栂尾神楽の祝子(舞手)として忙しい日々にさらに日課が加わることになります。 神楽はもともと男が行うもの。伝統を守ろうとする保存会の人たちの間でも、女性が参加することに抵抗がなかったわけではありません。
でも、ならしの時の和やかな様子や、夜神楽当日の二人の凛々しい舞と、それを見守る人々の温かな表情を見ていると、二人が飛び越えた壁がそれほど高くなかったことが分かりました。 これまでの神楽も時代と共に姿を変えて来たもの。時代に合って、受け入れられたから椎葉の神楽は今も生きている。それが「民俗芸能」なのだと、あらためて教えられた気がしました。
利根川の落葉の道に射す午前9時の陽
夜狩内の巣に射す午後3時の陽
2024 秋