秋から あとがき

初めて椎葉の採蜜の様子を見せてもらったのは10年前のこと。向山日当の椎葉辰徳さん。三人の可愛い子どもをもつ、若いパパさん蜂蜜ハンターでした。  山の斜面の大きな岩陰に並べた巣箱にはたくさんのミツバチが群れていて、雨合羽と頭からかぶるネットを貸してもらった僕は、少々ビビりながら巣に近づいたのを覚えています。  辰徳さんは蓋を開けた巣箱の上に別の木箱をかぶせて、下の方をコツコツと金槌で叩き始めました。しばらく続けると、何千匹ものミツバチが、ほとんど上の箱に歩いて移動してしまったのです。これにはさすがに驚きました。ミツバチたちは慌てる様子もなく、大人しく上の箱で塊になっていて、辰徳さんが蜜をたくさん蓄えた巣の何枚かを取り出すままに任せていました。

 

ミツバチ一匹が一生のうちに集める蜜の量は小さじ一杯分と聞きました。そんな貴重な蜜を文句も言わず人間に分けてあげる彼女たち(働きバチはみんなメスだそうです)の心の広さよ。と感動したものです。  ミツバチと言えば、那須久喜さんも思い出深い。久喜さんは、ミツバチの塊を素手ですくい上げることで有名で、いろんなメディアにも取り上げられた人。家の周りにたくさんの巣箱があって、ミツバチにかける愛情が言葉の端々からあふれ出ているようでした。  20年ほど前に一時、椎葉の山から日本ミツバチがほとんど姿を消した時期があったそう。子どものことを心配する親のように語っていた久喜さんのことは、ONLY ONE Shiiba第8号『巣箱の季節』に詳しいです。  辰徳さんや久喜さんの影響を受けて、自分でも日本ミツバチの養蜂にチャレンジしたいと思っていた頃、それを大河内の椎葉司さんに話したことがありました。司さんは 「これを巣箱の内側に塗りなさい」 と、蜜蝋を分けてくれました。

 

その後、いつか自分の巣箱を・・・と思いながら実行できずにいたのですが、ある年、延岡市街地にある自分の仕事場の床下に日本ミツバチが立派な巣を築いているのを発見するのです。その時の嬉しさと言ったらありませんでした。自分で何の努力も、期待もしていなかったのに、まして、家の床下にミツバチが巣を作るなんて想像もしていなかったのに、蜂たちが自ら好んで僕の床下に来てくれたのですから。  事務所の床下なので比較的高さがあり、大人でも屈んで歩けるほどの空間に、むき出しの状態で、8枚ほどの大きなパンケーキ様の巣が重なって垂れ下がっていて、たくさんの働き蜂が換気口の網目から忙しなく出入りしていたのです。

 

その秋、僕は初めて採蜜にチャレンジしました。椎葉の巣箱のように箱に入っているわけではないので、例のコツコツ作戦は通用しません。そこで、巣の表面に群れている蜂たちをゴム手袋をはめた手でそーっと押しのけてみました。すると、我が家のミツバチたちも穏やかで優しいのは椎葉のミツバチたちと同じで、多少は心外だなあという雰囲気は漂わせつつも、なんとか何枚かの巣を明け渡してくれたのです。  採れた巣蜜をザルに入れて桶に乗せ、二階の陽当たりの良い窓際に置いて数日蜜を垂らしました。あの年の蜜の美味しさは、失礼ですが、椎葉の先輩方の蜜にも引けを取らない(かもしれない)ものでした。  あれから数年、今でも我が仕事場の床下には立派な巣が健在で、秋には美味しい『床下ハニー』を恵んでくれています。

 

さて、そんな僕の蜂蜜遍歴に加わった新たな一ページが本編で紹介した採蜜ワークショップの取材です。講師のリーダーは那須満義さん。久喜さんだけかと思っていたミツバチの手すくいを無造作に行って見せた満義さん。おかげで、他の見学者たちもミツバチへの警戒感を解いて間近に巣に近づいて採蜜を体験することができたのです。  名前が「みつよし」だけに満義さんの蜜はよほど美味しいに違いない。しかも、巣箱のミツバチたちは満義さんの「なす(那須)がまんま」心を許している様でした。 お後がおいしい様で(笑)

 

 

文・絵 小野信介