
mother 母 / Ayaka Shiiba 椎葉亜也加
椎葉亜也加さんは、尾向地区で今も受け継がれている伝統農法の焼畑や、夜神楽に興味を持ったことがきっかけで、長年冬の神楽の時期に合わせて椎葉に通いつめ、ついに六年ほど前に移住してきました。通い出した当初はまだ移住者はほとんどおらず、今こんなふうに、たくさんの若い世代が椎葉に移り住む時が訪れるなんて、思ってもみませんでした。


長年の交流を経て地域にもすっかり溶け込み、近所の農作業の手伝いもよく頼まれるような気心の知れた関係のもと、椎葉暮らしを満喫している亜也加さん。毎年加勢している焼畑では、古来から繋がれてきた様々な雑穀を知りました。在来種の種を後世へ残したい。誰かがやらなきゃ無くなってしまう。そんな思いも強くなりました。
さらには地域で素敵な出会いもあって、ひめでたく「椎葉さん」となり、長男の大陽くんが生まれました。集落の皆は家族のように、本当に大喜び。実は、椎葉で子どもを産んで、神楽を受け継いで舞う姿を見るのが憧れだった亜也加さん。その夢を大陽くんが実現してくれる日を、地域のみんなと共に待ち侘びています。
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Chikusan nouka 畜産農家 / Seiya Shiiba 椎葉誠也
実家の畜産農家を継ぐため、二年前に家族を連れてUターンした椎葉誠也さん。
幼い頃は、家で牛の世話の手伝いもしたことがなかったという誠也さんが畜産に興味を持ったのは、宮崎市での会社員時代、偶然顔を出した牛の品評会でした。両親から誘われたその日がたまたま休みだったので、何気なく行ってみた宮崎県のの牛の品評会。そこは、畜産に情熱を捧げる人たちの熱気と歓声で溢れていました。初めて知った畜産の世界の格好よさ。幼い頃から身近にあった牛という存在が、一瞬で自分ごとになった瞬間でした。

実家を継ぐことに決めたのは、両親の後押しと、奥さんの理解があったから。それに加えて、兄の勇気さん一家がミニトマトの就農者として先に帰郷していたことも、街場から椎葉へ家族を連れて帰る不安を和らげてくれました。
昔のように兄弟揃って、今はそれぞれの子どもたちも連れて、ウナギやヤマメ釣りによく行っています。誠也さんは三年間の研修を終え、この春から椎葉村の畜産農家としての一歩を踏み出します。高齢化が進んで農家が減少している中でも、これからの椎葉の畜産を守るために、若者の奮闘は続きます。
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地域おこし協力隊として六年前に移住してきた村上さんは現在、キャンプ場の指定管理や、自身で古民家をリノベーションしたシェアハウス『でぇらの家』の運営を中心に、椎葉村に興味を持ち、この環境や地域に入ってみたいと思う人の入り口となるような居場所づくりをしています。
村上さんが大切にするのは、自然を活かしながら自身の生きる力やたくましさを養い、生きる手応えの感じられる暮らしをすること。それらを体感として実践できる場所がこの『でぇらの家』です。
例えば、この家にはボイラーがありません。お風呂は太陽熱と薪で沸かします。現代の技術と昔ながらの知恵を合わせ、自然の力を最大限に生かす暮らし。

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Shiiba kanko kyokai 椎葉村観光協会 / Manaka Kai 甲斐真菜佳
Oomori shika おおもり歯科 / Misaki Kai 甲斐美沙紀
甲斐真菜佳さんと甲斐美沙紀さんは、尾向地区出身の双子の姉妹。高校進学で椎葉村を出て以来、一度は宮崎市内で就職しましたが、数年前にそれぞれ椎葉へ帰ってきました。現在は、真菜佳さんは椎葉村観光協会へ、美沙紀さんは村内の歯科医院へ勤めています。
といっても、今二人は育児休暇中。椎葉でそれぞれ大切な人と巡りあい、それから結婚、出産と続き、揃ってママになりました。仲良しの二人とその子どもたちのお気に入りは、椎葉のママたちの憩いの場にもなっている『椎葉村交流拠点施設かてりえ』。こうやってキッズスペースのある施設で、気兼ねなくお母さんたちが集って子育てのあれこれを相談できる場所があるのは、とっても心強いんだとか。
子どもたちがお腹にいた頃は、すでに新型コロナウイルスの影響が生活に浸透していました。何もかもが我慢を必要とする、いつも通りでない日常の中で生まれた子どもたち。
「自分たちがしてきたことを、子どもたちにもさせてあげたい」季節ごとの行事やお祭りが多く、いつも賑やかで、地域ぐるみで子どもたちを見守るのが椎葉の当たり前。幼い頃からそんな日常の中で育ってきた二人だからこそ、本来の椎葉が戻ってくるのを心待ちにしています。
この子たちが大きくなって、村を出ていったら・・・そんな先の未来に話が及んだ時、どちらともなく出た言葉。「たとえいつか椎葉がなくなったとしても、私の骨はここに埋めたい」こんなに可愛らしいママにそう言わせるほどの故郷愛。椎葉ってやっぱりすごい。と改めて思い知ったのでした。
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Kozaki shuraku shien in 小崎地区 集落支援員 / Tetsuji Ooishi 大石哲嗣
東京で生まれ育った大石哲嗣さん。農業系の出版社に勤めながら、農村の問題や山村の暮らしを取材する中で、山の木々に囲まれて「かてーり」と呼ばれる共助のシステムの中で暮らす農村の逞しさに惹かれるようになりました。
「若いうちから移住して、村民になる生き方をしてみたい」そんな思いに駆られ、日本各地の候補地を回って、辿り着いたのが椎葉村でした。椎葉では造林や土木の仕事を経験し、山に関わる仕事の魅力を感じました。現在は小崎地区の集落支援員を務めています。そこにも、自分の住む地区や人をよりよく知りたい、本当の意味での村民になりたいという思いがあります。
「心も体も腑に落ちた」
そんな大石さんの言葉から、椎葉での暮らしがいかにしっくりきているのかが伺えました。地域の方達とは、ほとんど家族のような関係。地域の共同体の一員だという意識の芽生え。それは、自分自身がオンリーワンな存在なんだと自覚する感覚です。都会では仕事の面では代わりの居ない人材になり得るかもしれませんが、暮らしの面では、ここと同じ感覚を得るのは難しい。地域のためにやることが多く忙しいけれども、それも心地よい。そんな実感を持って暮らしを立てられることの幸せを噛みしめています。
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それぞれの椎葉、
それぞれの時間を
これからも見つめていきたいと思います。
カメラとともに。
ここは、『世界に一つだけの椎葉』
椎葉若者写真鑑
photo / written by
Kaoru Nakagawa 中川 薫