まつりのあとさき

椎葉平家まつりは、他の地域の祭りと違って「没入感がある」と感じています。その理由は何か?
を考えてみました。やっぱり最も大きいのは地理的な要因ではないかと思っています。

 

普通、地域のお祭りと言えば、まあ夕方くらいから、「ぼちぼち行くか」と出かけていきますね。町や村などが、大きなの規模で行うイベント的なお祭りにしても、せいぜい昼頃から出かけて、宵の口には満足して帰るというのが一般的なイメージではないでしょうか。

 

特に人混みがあまり得意ではない僕は、出店が多く並んだり、道路を封鎖して、たくさんの人が踊ったり神輿が練り歩くような祭りに、最初から最後まで参加したことが殆ど無い人生を送ってきました。

もちろん焼きイカなどを買って歩きながら食べたり、珍しいパフォーマンスを見たり、気合の入った男たちの勇壮な姿を見たり、そんな非日常の賑やかさが楽しくないわけではないのですが、きっと途中で飽きてしまって、まだまだこれから盛り上がるであろうことは分かっていながら、そっと会場を後にすることが常なのです。

 

では、なぜそう簡単に飽きてしまうのか?
それはおそらく「簡単に帰れてしまうから」だと思います。

 

言い換えれば「簡単に来れるから」です。明日も続く祭りなら、また後で来てもいい。

来年も開催されるからまた来れる。そんな甘えが僕の中にあったように思うのです。

 

ところが椎葉平家まつりはそうはいきません。

まず行く段階で、ある程度の気合いを入れなければならない。それは何故か?例えば僕が本文の中でも推した『鶴富姫法楽祭』。それを見届けようとすれば当然夜になります。理想は宿をとって椎葉に宿泊なのですが、部屋数には限りがある。いきおい、祭りの日程が決まる頃から早めに予約をして、秋が深まる十一月まで、今日か明日かとその日を待ち焦がれることになります。

 

運悪く宿が確保できなかった人たちは暗い夜道を車を走らせて地元まで帰るか、宿がある周辺の街まで一時間以上かけて移動することになるのです。

 

その夜で終わりなら話は分かりますが、平家まつりはそれでは終わらない。翌日のコンサートや大和絵巻武者行列を見なければ、まつりを楽しんだとは言えませんから、村外に帰ったり、他の街に宿泊した人たちも、翌朝早くには再び椎葉に向けて車を走らせることになるのです。

 

今回、テレビ中継の仕事でまつりに参加していたある知人などは、法楽祭の中継を終えて片付けをした十時ごろから、車で一時間半ほどかかる延岡市のホテルに車で向かい、翌朝五時過ぎに出発して再び会場に戻ってくると話していました。「あらー、あわいそうにー。僕はそこの車の中でビール飲みながら、ゆーっくり寝るわ。おつかれさまー。」と言った僕の優越感といったらありませんでした。

 

平家まつりを楽しむということは、あの高い山たにあいに囲まれた谷間の空間に身も心も預けてしまうことだと思うのです。村内に住む人たちにはまた違う話かもしれませんが、この二日間は(以前は三日間でした)下界の暮らしや仕事のことを忘却し、今が令和何年なのか、あるいは、そもそも今が令和なのか、平安時代なのか鎌倉時代なのかも深くは考えず、十二単の姫たちや、坊主頭の足軽たちや、鎧甲冑の御家人や、つぶらな瞳の馬たちの中に自分を置くことこそ平家まつりの醍醐味であるわけです。

 

などと偉そうにいう僕ですが、その実、首にはカメラを下げて、パシャパシャと無駄にたくさん写真を撮り、時々スマホをいじっては、俗世間の喧騒から離れることも出来ずにいたのです。それでもしっかり、満喫することができましたので、これから初めて椎葉平家まつりを楽しもうという方々、ご安心ください。そして、スケジュールが発表になったら早めに宿の予約をご検討ください。もしくは後部座席がフラットになる車を段取りすることをお勧めします。

 

最後に、件のテレビクルーの知人に優越感をめて込み平家まつり通を自慢した僕でしたが、当日は親知らずが痛んで、椎葉の秋の味覚も楽しめず、もちろんビールを飲めばズキズキ疼くこともわかっているのでそれもできず、自販機で買ったミルクティか何かと、中園本店さんの歯に優しいパンでお腹を満たし、寂しい夜を過ごしたのでした。

次回参戦をお考えの方、歯の治療を事前に済ませておくことも併せてお勧めしておきます。