小さな理容所

 尾向小学校の向かいに小さな理容所があります。くるくる回るあの床屋さんの目印も、看板らしき物も全くありません。母屋と車庫の間に立つかわいい茶色の建物が創業半世紀を超えた床屋さん『姫理容所』です。

 店主は尾前ヒメ子さん、尾前生まれ。今日もヒメ子さんの姫理容所にお客さんが来ました。

 

 今日のお客さんは、向山の蔵座利昭さん、常連さんです。お互い時間はたっぷりあるので、急がずゆっくり丁寧に、髪を整え顔もきれいに剃ってさっぱり。

「これまでヒメ子さんに何回髪を切ってもらったんですかね?」 と尋ねると

「分からんわ、あはは・・」

 

 お姉さんが営んでいた床屋さんを引き継いで開業した昭和40年代、それはそれは、忙しかったそう。1日に数十人もお客さんが訪れた日もありました。

 子どもが小さい時は、長男をイスに座らせて落ちないように紐でくくり、長女をおんぶして仕事をする日々。

 林業が盛んで、尾向地区も賑やかだったその頃は、運動会の前日には決まって沢山の人が散髪に訪れました。おかげで自分の家の弁当を作るのは夜なべ仕事。

 大変だったけど楽しかった時代。地区の人たちに助けられ、地区の人たちのために頑張る毎日でした。

 

 そんなヒメ子さんを支えてくれたのが夫の敬一さん。タバコも吸わず、焼酎も呑まず(飲めない)、優しく真面目で男前の旦那さんがそばにいてくれたから頑張れたのでしょうね。

 

 平成3年の台風で裏山が大きく崩壊し、ヒメ子さんの理容所や母屋を含む数件が土砂に押し流されて全壊します。住民たちは全員避難していたため、幸い犠牲者はいませんでした。

 家も店も失い不安で不自由な避難生活を始めたヒメ子さんにすぐに「散髪をして欲しい」と地区の人たちから声がかかります。

 

 幸い、押し流され潰された店からハサミやいくつかの道具を拾い出すことができました。また理容師の組合や仲

間たちが様々な手助けをしてくれたおかげで3ヶ月目には仮設住宅で店を再開することができたそうです。

 その後、防災工事も終わり、元の場所に家と店を再建しました。今も店の真ん中でお客さんを待っている理容椅

子、あの時組合の人たちが奔走して、宮崎市から運んできてくれた大切な椅子です。

 

 「今は、お客さんは週に1人か2人かね?うふふ。」と笑うヒメ子さん。それでも定休日は毎週月曜日と第3日曜日

だけ。それは組合で決めていることだから。いつまでも、動ける間は理容師組合の一員として『生涯現役理容師』で頑張っていく覚悟です。

 お客さんは少なくても、退屈はしません。店をきれいに掃除し、壁を華やかにする飾りを手作りし、敬一さんと話し、家事をし、次に来るお客さんのために道具を手入れしておく。

 尾前の小さな理容所は、ストーブ一つですぐ温まる。今日もぬくぬくお客さんを待っています。