もう一つの巣箱

那須久喜さんの家を訪ねたのは六年ぶり。あの時すでに八十歳を超えていたはず、元気にしているかな?長い梅雨の日々に、夫婦で家の中でふさぎこんでいるんじゃないかな?などと不安を抱きつつ、庭先につながる草木が生い茂った細い道を進んでいきました。

 

しかし庭を覗いた瞬間、嬉しいことにすぐに不安は霧散してしまいました。雨の上がったばかりの庭で、久子母さんがザルに小豆を広げて干しているところ。すかさず、牛小屋の方から久喜さんが六年前よりも若返ったのでは?と思えるくらい元気な姿で現れたのです。

「ああ、元気でいてくれて良かったあ。」

なぜか僕は自分の事が、何年も音信不通にしていた親元にやっと帰ってきた親不孝者みたいに思えていたのでした。

 

たしか六年前は、こんな話を聞いたなあ。

平成十六年ごろからの二年間ほど、椎葉の山から日本ミツバチが全くいなくなったことがあったそう。もう絶滅したのか?と諦めかけていた三年目の春、畑で作業をしていた久喜さんの唇に一匹のミツバチがとまった。その一匹を手にとって、「どこから来たか?どこから来たか?仲間はおるか?」と語りかけた。その時帰ってきた一群のミツバチを巣箱に入れて、一冬の間、蜜を与えながら大事に世話をした話。それを心から嬉しそうに話す久喜さんの声。

翌春、その群れが幾つにも分かれて、再びミツバチが増えていったそう。 他にも牛のお産の話、放牧地の崖下に落ちた仔牛を負ぶって助けた話。思い出すたびに心がジーンと温かくなる、全ての命に対する慈しみに溢れた久喜さんの話。

 

でも本人は至って普通、淡々としている。そんな六年前の思い出を話して「僕のこと、覚えてますか?」と問うと、「ああ、そうそう、そうじゃったかなあ?」と軽く受け流されてしまったのでした。さもありなん、久喜さんは椎葉の有名人。取材は飽きるほど受けているのだもの。

 

それでも今日も丁寧に、小川の流れる放牧地、茶畑、じゃがいもや里芋が放っておいても毎年ゴロゴロ採れる畑、何十羽も飼っている鶏小屋、そしてたくさんあるミツバチの巣箱の一つ一つをフルコースで案内してくれるのでした。

 

「今年のミツバチは大きい巣箱ばかりを選んで入ったから、きっと秋には蜜がたくさん採れるはず。冬にまた来ない。」

「はい、きっと来ますよ。ガラス瓶を持って。」

 

来年は巣箱にミツバチを呼び込む手ほどきを受けようかな?お土産に鶏卵を一抱えほどいただき、二人の笑顔に見送られて帰途につきました。

久喜さん久子さん、幾久しくお元気で。